1986年 115系の車両移動の話題

1983年~1984年と、他形式を巻き込んで大規模転配が行われて以降、 吹っ切れたかのように先頭車化改造車が大量に発生することとなった115系。
1985年にも豊田・松本・小山・新前橋を中心に115系の短編成化やそれによる車両転配が発生したが、 民営化直前の1986年にも発生することとなった。

流石に1983年~1984年ほどの大規模転配とまではいかないが、 これまでの車両転配と違うところは、余剰となった車両が全車活用されなかったこと。 つまり、この車両整理で115系として初めての廃車車両が発生してしまったのである。
このページでは、1986年の車両転配における115系の動きに追跡してみよう。 今回も他形式への改造車が発生している。

もくじ

  1. 前説
  2. 内訳
    1. 岡山地区の場合
    2. 新潟地区の場合
  3. あとがき

前説

1982年に開始された「ひろしまシティ電車」政策が大成功をおさめ、 以降全国各地へと広がって行った「シティ電車」。
1984年と1985年にかけて、約半数近くの115系が編成変えに巻き込まれ、 中には113系から改造された車両を組み込んだ編成や、逆に113系へ改造された車両も存在していた。

しかし、2度のダイヤ改正を以てしてもまだ岡山・長岡を中心に長大編成が残存しており、 更なる短編成化による増発の余地が残されていた。
こうして1986年もまた各区所において削減できそうな両数を調整し、 不足する先頭車両については余剰となる中間車から改造を施すことで車両を捻出することとなったのであるが、 この時点で既に115系のデビューから23年が経過していた頃。 経年23年となり、老朽化が深刻な車両の置き換えも急務となっていた。 また新前橋では211系1000番台ならびに211系3000番台の投入が始まっており、 115系の両数に余裕が出始めていた。
その結果、今回の短編成・高頻度化では捻出された115系が全車活用されたわけではない。

ちなみに今回は省略することとなる211系1000番台ならびに211系3000番台による捻出車両についてだが、 新前橋にいた1963年投入組は老朽化が進んでいたため廃車。 民営化以降もクハだけ残された車両については1988年に113系に改造されて房総地区に転属している。 1000番台は小山・豊田に転属し、玉突きで300番台を広島・岡山に転属させ、 広島地区においてはこれまた老朽化が深刻な111系を置き換えていったという。 (編成に組み込まれていたクハは113系として落成された車両ばかりであったため、 1両を除き短編成化によるクハ増加分や各地に残っていた1962年投入分のクハの置き換えに回されている。)

内訳

今回、捻出できそうな115系は以下の通りであった。

  1. 岡山にいる1000番台6両編成11本を分割、モハ115-1000の先頭車化に伴う3連化で余剰となった3両11本(うち4本は1000番台と混用されていた0番台)
  2. 長岡にいる5両編成5本の3連化で余剰となったモハユニット5組
  3. 長岡にいる3両編成1本の2連化で余剰となったクハ1両

岡山の余剰3両11本のうちの4本が0番台となっている理由なのだが、これはまた追々話すこととしよう。

(↓余剰・捻出車リスト)

クハ115 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 クハ115
オカ 1113 1044 1105 ナカ 1017 1060 ナカ 1051
オカ 1121 1061 1124 ナカ 1018 1063
オカ 1122 1063 1126 ナカ 1021 1074
オカ 1149 1107 1191 ナカ 1025 1084
オカ 1154 1117 1201 ナカ 1048 1110
オカ 1155 1119 1203
オカ 1157 1123 1207
オカ 13 7 7
オカ 33 17 17
オカ 45 60 60
オカ 57 16 16


 岡山地区の場合

1984年の車両転配で6連51本のうちの半数以上の40本が短編成化対象とされ、 3連18本、4連33本に再編されることとなったのだが、 全編成が短編成化されることなく、6両編成のまま残された編成が11本もいた。
このうちの4本については、当初から短編成化を想定していたためか、 1985年頃に上り方の片割れ3両を非冷房の4両編成のうちの3両に差し替え、 冷房・非冷房混成編成が4連・6連それぞれ4本ずつ誕生していた。
これらの編成については、4両編成はK編成に振り分けられ、6両編成はHの編成番号区分が与えられている。

クハ115 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 クハ115
1119 1057 1120 1058 1121 1080
1145 1090 1154 1091 1155 1206
1147 1093 1157 1094 1158 1207
1153 1115 1199 1116 1200 1237
↓
クハ115 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 クハ115
57 16 16 1058 1121 1080
45 60 60 1091 1155 1206
33 17 17 1094 1158 1207
13 7 7 1116 1200 1237

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
13 7 7 10
33 17 17 34
45 60 60 16
57 16 16 58
↓
クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
1153 1115 1199 10
1147 1093 1157 34
1145 1090 1154 16
1119 1057 1120 58

そんな中で迎えた1986年。 6両編成のままで残された11本についても短編成化対象となり、 例によって3両ずつに分割され、下り方の片割れについてはモハ115-1000番台をクモハ115-1500番台に改造して3両編成を組成した。 残った上り方の片割れ3両11本についてだが、このうちクハ115-1100にトイレが付いているのが4本。 クハ115-1148をクハ115-1244に改造する際に解説した「トイレ付の上りクハ」だ。 今回もまた上りクハのトイレが活用される形となった。
第一に、モハ115-1000番台をクモハ115-1500番台に先頭車化改造し、 次にクハ115-1100番台をクハ115-1400番台に方転改造、 最後に、改造した3両を組成すれば上り方の片割れだけでも3両編成4本が組成できるのだ。
ただ、そのうちの1本は1000番台+初期車クハで構成された4連1本を編成分解したもの。 上り方3両はそのまま3連化された一方で下り方クハ(16)は使用用途を失い廃車。 短編成化による115系の廃車が遂に発生してしまったのである。 補充として片割れ3両(クハ115-1121、モハ115-1061、モハ114-1124)と方向転換したクハ115-35を補充要員として4両編成1本を組成している。

これ以外にもクハ115-1113、モハ115-1044、モハ114-1105の3両が3両編成の組成に活用されている。 クハ115-1113は1978年製であるためトイレがなく、仮にこのまま3両編成を組成をする際はクハにトイレの追設が必要であるが、 既に4両編成を組成していたオカC09編成の上り方3両と差し替え、 1982年製のクハ115-1156(トイレ付き)、モハ115-1122、モハ114-1206を捻出することによって、 あとは必要な改造を施すだけで問題なく3両編成を組成することができたのだ。

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
1156 1122 1206 1240
↓
クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
1113 1044 1105 1240

(↓岡山区(1000番台)(1))

クモハ115 モハ114 クハ115
1540 1154 1401
1543 1191 1402
1546 1201 1403
1549 1206 1404
1550 1207 1405

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
1121 1061 1124 606
1150 1109 1193 35
廃車 16
※クハ115-1150以下4連に組まれていたクハ115-606はクハ115-1121以下3両と4両編成を組成することとなった。

1000番台の上り方片割れはまだ2本残っている。 これらの2本は非冷房の4連1本を分解し、 クハ115-30を方向転換した上で2両のクハ(30,82)を下り方に組み込んで4両編成を組成することとなった。
なお、この際に余ったモハ115/114-33は使い道がなく、そのまま廃車となってしまった。

この他、クハ115-35を供出した4連1本も編成分解されているが、 この編成についてもモハ115/114-3がそのまま廃車となってしまった。

(↓岡山区(1000番台)(2))

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
1155 1122 1206 30
1140 1088 1152 82
1122 1063 1126 601
36
廃車 3 3
廃車 33 33
※クハ115-1140以下4連に組まれていたクハ115-601はクハ115-1122以下3両と4両編成を組成することとなった。

さて、ここで0番台の片割れについても語っておこう。 0番台と1000番台の混成編成であったH編成から抜き取られた3両4本が該当するのだが、彼らの一部についても有効活用がなされることとなった。
クハ115-57、モハ115/114-16はクハ115-10と4両編成を組成することとなった。 なお、クハ115-10を抜き取られた編成(オカK編成)については代わりとして上記の編成替えで余剰となっていたクハ115-36が組み込まれている。
そしてクハ115-45とモハ115/114-60は、クハ115-75を方向転換させたうえでこちらも4両編成を組成した。 この編成組み換えの結果、クハ115-2、モハ115/114-5が余剰となり3両は活用されないまま廃車となってしまった。
ちなみにクハ115-36の片割れであるクハ115-35はクハ115-16の置き換え要員となったため、 つまりはこの短編成化でクハ115-2、16、モハ115/114-3、5がクハ115-45、57、モハ115/114-16、60に置き換えられたといっても過言ではないだろう。

残るクハ115-13、33、モハ115/114-7、17。 彼らについては活用先が見つからず、モハユニット2組についてはそのまま廃車となってしまう。 クハ115-13、33についても廃車こそは免れたが、全くもって活用されないまま保留車として民営化を迎える事となった。

最終的に6連11本の短編成化で3両編成が16本、4両編成が3本組成されたが、その一方で4連2本が編成分解となり、 編成替えに巻き込まれながら活用先がなかったクハ2両、モハユニット5組が廃車となった。
また、1000番台+0番台クハの組成により、余剰となったクハ115-5以下4連が編成ごと廃車となっている。 こうした動きも踏まえると、最終的に増加した編成数は三鷹から転入してきた300番台3連6本も含めて11本となった。
ちなみにこの後、213系が1987年から投入されることとなり、非冷房車を中心に4連8本が余剰となるのだが、 213系の投入を待たずして一気に16両が廃車となっていたのである。
(※民営化直前に広島と岡山で車両交換が発生していたが今回は一部省略)

この編成替えでCの編成番号区分が与えられたオール冷房車の4両編成にはAの編成番号区分が改めて附番され、 Cの編成番号区分は213系に与えられることとなった。 またオカH編成が消滅となった。

(↓改造車リスト)
1. モハ115→クモハ115
モハ115-1045、1058、1062、1064、1090、1091、1094、1107、1108、1116、1117、1118、1120、1122、1123、1124 →クモハ115-1536~1551

2. クハ115-1100→クハ115-1400
クハ115-1145、1149、1154、1156、1157→クハ115-1401~1405

(↓岡山区(0番台))

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
1153 1115 1199 36
57 16 16 10
45 60 60 75
廃車 5 5 2
廃車 3 3 16
廃車 7 7
廃車 17 17
予備 13
予備 33
※クハ115-2、75それぞれの元片割れとなったクハ115-71、76は、別編成のモハユニット1組と4両編成を組成している。

(↓余剰・捻出車リスト)

モハ115 モハ114 クハ115
ナカ 1021 1074 ナカ 1051
ナカ 1017 1060
ナカ 1018 1063
ナカ 1025 1084
ナカ 1048 1110

(以下余談。)

1987年より始まった213系の投入により、余剰となった4連8本のうち3本は編成をばらされ、 連結していた両端のクハを奇数向きに揃えさせた上で115系300番台3両編成に連結させていた。 つまり今回の短編成化、増加した編成数の合計は11本で変わりはないが、実際には4両編成が6本、3両編成が5本増加したこととなる。
余剰となったモハユニット3組(MM'66、MM'68、MM'83)は広島と車両を交換した上で保留車となった。(MM'12、MM'14、MM'24が転入)

クハ115 クモハ115 モハ114 クハ115
K10 127 301 329 348
K11 128 302 330 350
K12 131 320 356 406
K13 132 321 357 404
K14 161 323 359 408
K15 162 324 360 410

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 2. 新潟地区の場合

一方で、編成短縮による余剰車は新潟地区でも発生していたのだ。
1985年当時でも長岡には5両編成が12本在籍していたのだが、 そのうちの5本を3両編成へ短縮し、余剰となったモハユニット5組については先頭車化改造の上で2両編成を組成させることとなった。 更に、3両編成からも2両編成からの改造車を出すこととなり、片方が純正クモハとなるクモハユニットからも1組が2両編成の種車として選ばれ、 クハ115-1051が余剰となった。

モハ115 モハ114 クモハ115 クモハ114
1021 1074 1531 1502
1017 1060 1532 1503
1018 1063 → 1533 1504
1025 1084 1534 1505
1048 1110 1535 1506

クモハ115 モハ114 クモハ115 クモハ114
1060 1085 → 1060 1501

新潟区においては老朽化が著しく進んでいたクハの淘汰も行われることとなり、 長岡で余剰となったクハ115-1051も交えて編成替えが実行されることとなった。
まず手始めに1984年当時から予備クハ扱いとなっていたクハ2両を整理することとなり、 その過程でクハ115-2127が方向転換改造を受ける事となった。 これにより、クハ115-9、47が置き換えられることとなった。
次に、上記の3両編成の2連化で余剰となったクハ115-1051を新潟区へ転入。 この車両でクハ115-29を置き換えることとなった。

余剰となったクハ115-9、29、47は全車が廃車になるはずであった。
ところが、1987年に両毛線栃木~思川間で脱線事故が発生し、クハ115-113とモハ115-34が修理不能な損傷を受けて廃車となってしまう。 デビュー24年目を迎えていた115系としては初の事故廃車となってしまった。 この際、新前橋では廃車予定となっていたモハ115-41を復帰させてモハ114-34とペアを組ませたが、 クハ115-113の代車として113系に改造予定となっていたクハ115-79が抜擢されたのだ。 この過程でクハ115-47は新前橋へ転属し、クハ115-79の代わりとしてそのまま113系へ改造されたという。 残ったクハ115-9、29は廃車となった。

(↓転属車リスト)
1. 長岡→新潟
クハ115-1051

2. 新潟→新前橋
クハ115-47

(↓改造車リスト)
1. モハ115→クモハ115
モハ115-1021、1017、1018、1025、1048 →クモハ115-1531~1535

2. モハ114→クモハ114
モハ114-1085、1074、1060、1063、1084、1110→クモハ114-1501~1506

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あとがき

実はこの時に新前橋でクモハ115-509、クハ115-612も余剰となり、クハ115-612がクハ401-901に改造、 クモハ115-509が岡山に転出しているのだが、 彼らは短編成化というよりは211系の投入で捻出された車両たちであり、 しかもクモハ115-509に至っては岡山転出後もほぼ予備車としての扱いで、 クハと編成も組まされていなかったことから今回は余剰車リストから除外させていただいた。 クモハ115-509と同様の理由でクモハ115-1523(後にクハ115-188とペアを組成)も余剰車リストから除外している。

今回の車両転配でついに廃車車両が発生することとなってしまった115系ではあるが、 同時期には211系の製造が進められており、既に1963年1月に投入された車両は車齢20年を越えていることもあって、 廃車発生は致し方なかった。 それでも、1986年5月までの23年間で事故廃車も含めて廃車車両は1両も出さず、 115系として落成された1,921両全てが同時に在籍していた期間が3年間もあったというのは、 まさしく115系が誇れるところの1つといえよう。 (103系や113系は製造期間内に事故廃車が数両発生しており、製造された両数が同時にいたことはない。)
最終的には以下の47両と他形式に改造編入された5両を除いた1,869両が115系として国鉄分割民営化を迎えた。

(↓廃車車両リスト)※岡山・新潟両地区の短編成化に絡まない車両も含めた

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
オカ 3 3 2
オカ 5 4 4 6
オカ 5 5 16
オカ 7 7
オカ 17 17
オカ 33 33
ニイ 9
ニイ 29
ヒロ 2 2
ヒロ 10 10
ヤマ 11 11
ヤマ 26 26
マエ 40 40
マエ 113 34 41
マエ 77 39 39 78
マエ 85 43 43 86
マエ 87 44 44 88
マエ 89 45 45 90

なお、民営化以降も特に新潟・岡山・広島で短編成化の流れは途絶えておらず、 各所に在籍している彼らはまだまだ短編成化の流れに巻き込まれていくこととなる。

(参考文献・サイト)
ジェーアールアール「国鉄電車編成表」86年号。
きはゆに資料室
wikipedia
など

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