1983年~1984年 115系の車両移動の話題

1983年~1984年は、20年以上も続いた115系の製造が打ち切られて間もない頃であったのだが、 同時にそれが影響して車両移動が各区所で活発に行われていた時期だったのである。
各区所においては短編成化の上で編成数を増やし、増えた編成の分増発を行うという政策を実施していたのだが、 これを「シティ電車政策」という。 広島をはじめとして仙台、新潟、千葉、新潟、長野、金沢、沼津、岡山、長崎、鹿児島などの各支社で行われ、 115系だけに限らず113系や415系、103系、105系、165系、475系、果ては583系までも転配対象となった。

このページでは、その「シティ電車政策」下における転配対象車のうち、115系の動きに追跡してみよう。 なお、区所単位で説明しているわけではないため悪しからず。

もくじ

  1. 前説
  2. 内訳
    1. 大量発生した1000番台の片割れ3両たち(岡山)
    2. 4両編成への統一&モハとサハの制御付随車化(広島)
    3. 宇都宮線・高崎線でも(新前橋・小山・長岡・岡山)
    4. 余剰車フル活用(沼津・新潟・広島)
  3. あとがき

前説

「シティ電車政策」の発端は1982年に遡る。 この当時、広島地区においては115系3000番台の製造が行われていたのだが、 1980年代前半と言えば既に国鉄分割民営化が見え始めていた頃。 財政難に苦しんでいた国鉄では広島地区への設備投資にかかる費用を極力抑えておきたかったのだ。 その為、4連6本を除いて殆どの3000番台が先頭車両のみの新製に留め、111系のモハユニットを活用する形となった。 これに伴い、6連15本、4連1本が在籍していた111系は全編成が4連化。
最終的には3000番台は111系混結編成も含めて4連21本が用意されることとなったのだが、 1983年には追加で3000番台モハユニットを6組新製しており、その分として111系が置き換えられている。 (このモハユニット6組が115系として最後の新製車両であった。)
こうして増備された4連21本を用いて、この時点で残っていた153系6連13本の運用を置き換えただけでなく、 それまで20分サイクルだった広島~岩国間を15分サイクルに増発。
編成両数が短くなる代わりに編成数を増やし、その分を増発に回したこの作戦は利用者数増加へと繋がり大成功。 これを受けて国鉄は、全国規模でこの政策を実行に移すこととなり、 1984年2月1日のダイヤ改正で仙台・新潟・静岡・長野・岡山などへと波及することとなった。

しかし、減車の上で編成数を増やすにはそもそもとして先頭車両の数をその分増やさなくてはならない上に中間車両が大量に余剰となってしまう。 地方においてはまだ経年1~7年しか経っていなかった1000番台が配置されているところもあり、 彼らの中間車を廃車にするのは非常に勿体ない。 DD54を経年4~10年で全車廃車にしたことで国会からも問題視された過去がある国鉄としては、 1000番台の余剰廃車は避けたかった。
しかし、既に115系の製造は打ち切られており、このままでは活用方法がないというのもまた事実であった。

そこで、各区所において削減できそうな両数を調整し、不足する先頭車両については余剰となる中間車から改造を施すことで 車両を捻出することとなったのである。 この時に115系は全国規模において車両転配が行われることとなり、 また短編成化に際して先頭車化ならびに他形式編入の改造対象となった両数も相当数に及んでいたのだ。

内訳

捻出できそうな115系は以下の通りであった。

  1. 沼津にいる4両編成19本の3連化(モハ115-0番台はクモハ115に改造)で余剰となったクハ19両
  2. 岡山にいる0番台6両編成20本、1000番台6両編成2本の4連化で余剰となったモハユニット22組
  3. 岡山にいる1000番台6両編成18本を分割、モハ115-1000の先頭車化に伴う3連化で余剰となった3両18本
  4. 広島にいる6両編成26本の4連化で余剰となったモハユニット26組
  5. 豊田にいる0番台4両編成6本の3連化で余剰となったサハ6両
  6. 長岡にいる6両編成14本の5連化、4両編成8本の3連化で余剰となったサハ22両
  7. 松本にいる1000番台5両編成1本の3連化で余剰となったモハユニット5組

この中で一番分かりやすいのは沼津・長岡の115系であろう。 ほぼすべての編成が減車対象となり、両区所の編成共に1両ずつ減らされることとなった。

(↓余剰・捻出車リスト)

クハ115 クハ115 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 サハ115
ヌマ 9 オカ 1107 1032 1093 オカ 15 15 ミツ 1
ヌマ 21 オカ 1108 1034 1095 オカ 18 18 92 92 ミツ 2
ヌマ 29 オカ 1109 1036 1097 オカ 23 23 ミツ 5
ヌマ 37 オカ 1110 1038 1099 オカ 29 29 86 86 ミツ 6
ヌマ 41 オカ 1111 1040 1101 オカ 38 38 ミツ 7
ヌマ 47 オカ 1112 1042 1103 オカ 73 73 ミツ 8
ヌマ 51 オカ 1114 1046 1107 オカ 87 87 ナカ 1001
ヌマ 59 オカ 1117 1053 1116 オカ 93 93 ナカ 1002
ヌマ 151 オカ 1118 1055 1118 オカ 110 96 ナカ 1003
ヌマ 163 オカ 1120 1059 1122 オカ 119 105 113 99 ナカ 1004
ヌマ 199 オカ 1127 1071 1134 オカ 116 102 ナカ 1005
ヌマ 2122 オカ 1139 1084 1148 オカ 127 113 ナカ 1006
ヌマ 2123 オカ 1140 1086 1150 オカ 128 114 130 116 ナカ 1007
ヌマ 2124 オカ 1141 1100 1172 オカ 129 115 ナカ 1008
ヌマ 2125 オカ 1146 1086 1150 オカ 133 119 134 120 ナカ 1009
ヌマ 2126 オカ 1148 1105 1177 オカ 1113 1197 ナカ 1010
ヌマ 2127 オカ 1150 1109 1193 オカ 1121 1205 ナカ 1011
ヌマ 2128 オカ 1151 1111 1195 ヒロ 2 2 10 10 ナカ 1012
ヌマ 2129 ヒロ 19 19 20 20 ナカ 1013
ヒロ 67 67 69 69 ナカ 1014
ヒロ 70 70 ナカ 1015
ヒロ 78 78 ナカ 1016
ヒロ 89 89 ナカ 1017
ヒロ 91 91 ナカ 1018
ヒロ 84 84 88 88 ナカ 1019
ヒロ 63 63 85 85 ナカ 1021
ヒロ 108 94 109 95 ナカ 1022
ヒロ 114 100 115 101 ナカ 1026
ヒロ 118 104 132 118
ヒロ 123 109 124 110
ヒロ 2002 2002 2013 2013
ヒロ 2023 2023 2024 2024
モト 1095 1161
モト 1096 1163
モト 1097 1165
モト 1098 1169
モト 1099 1171


 1. 大量発生した1000番台の片割れ3両たち(岡山)

岡山地区においては6両編成のみが在籍していた。 このうち0番台20本についてはほとんどの編成で4連化がなされたのだが、 一方で1000番台については、2本がそのままモハユニットを1組抜いて4連化された一方で、残り29本のうちの18本は上り方4両目のモハ115-1000をクモハ115に改造し、 3両編成18本と片割れ3両18本に分けることとなった。(11編成は6両編成のまま残存)
余剰となった1000番台58両なのだが、このうちクハ115-1148は方向転換の上でクハ115-1244に改番されている。 クハ115-1148が方向転換されることとなった理由についてだが、これには115系1000番台の仕様が関わってくる。

元々、クハ115は両方のクハにトイレが設置されていたのだが、 1977年以降に落成された、1000番台以降については1編成辺りのトイレの個数は1個までとされ、 上りクハにあたるクハ115-1100番台にはトイレが備え付けられなくなっていた。
しかし、1980年より113系2000番台が国府津に配置されるようになると、 特に11両編成を組成する場合は4・5号車にグリーン車を跨ぐ関係上、普通乗車券のみではグリーン車の車内に入ることが出来ないために上りクハにもトイレを備える必要が発生し、 それまでトイレが備えられていなかった後期型の上りクハにもトイレが備え付けられるようになったのだが、 その仕様変更がそのまま115系にも反映され、1142番以降がトイレ付となった。

(↓分かりやすく図を用いて説明するとこうである。)

クハ111 モハ113 モハ112 サハ111 モハ113 モハ112 サロ110 サロ110 モハ113 モハ112 クハ111
例 199 272 272 1007 2088 2088 1260 1259 271 271 505
WC付き   普通乗車券ではグリーン車の通り抜けが出来ない。↑ WC付き
※1989年10月1日現在の横コツK46編成より。

6両編成、それも普通車のみで運用される分には過剰設備となりうる上りクハのトイレだが、 下りクハとして方向転換をするにあたってその仕様が最大限に活用される形となった。 この車両ならば落成当初からトイレが設置されている為方向転換の際にトイレを追設する必要がなかったのである。 ただ、冷房引き通し線の関係から片渡り構造とされ、方向転換の際は改造が必要であったため結果として車両番号の変更が加わっている。
方向転換に際してトイレ付の上りクハを活用するケースは、これ以降も西日本や東日本を中心に発生することとなった。

この他、網干区における中間クハ組み込み編成の消滅で余剰となった16両のクハ111のうち、6両の確保に成功。 マスコンを交換の上でクハ115-600番台として岡山に転出した。
先述のクハ115-1244と併せ、下りクハ7両を片割れ3両7本と組み合わせ、4連7本を組成した。 また、0番台非冷房車4両編成のうち2本については、下りクハを除いた編成中の3両が1000番台に差し替えられた。 これにより、冷房付き車両組み込みの4両編成が9本組成できたこととなる。(うち1本はオール冷房車編成)

なお、この編成替えで岡山支社では1000番台4両編成にC、1000番台3両編成にD、1000番台+0番台の4両編成にKの編成番号区分が与えられた。

(↓岡山区(0番台))

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
7 50 50 98
101 46 46 30
219 128 114 220
↓
クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
219 50 50 98
1146 1086 1150 30
1139 1084 1148 220
※背景色が薄緑色の車両は捻出車リストに入っていない車両。
※実際はこの後、1986年までにクハ115-30とクハ115-219が入れ替えられている。
1000番台編成に組み込まれることとなったクハ115-219、220についてはその後、1985年に冷房改造が施され、 クハ115-219についてはこの組替以降は偶数向きとして使われるようになった。

(↓岡山区(1000番台))

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
1108 1034 1095 604
1112 1042 1103 1244
1117 1053 1116 603
1118 1055 1118 605
1140 1088 1152 601
1141 1100 1172 602
1150 1109 1193 606
1105 1177
※クハ115-1244はクハ115-1148からの方向転換車。

(↓転属車リスト)
1. 網干→岡山
クハ111-365、373、379、380、381、397→クハ115-601~606

(↓改造車リスト)
1. モハ115→クモハ115
モハ115-1033、1035、1037、1039、1041、1043、1047、1054、1056、1060、1085、1087、1089、1092、1101、1106、1110、1112 →クモハ115-1501~1508

2. クハ115-1100→クハ115-1000
クハ115-1148→クハ115-1244

(↓余剰・捻出車リスト)

クハ115 クハ115 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 サハ115
ヌマ 9 オカ 7 オカ 23 23 8 8 ミツ 1
ヌマ 21 オカ 101 オカ 46 46 15 15 ミツ 2
ヌマ 29 オカ 1107 1032 1093 オカ 18 18 92 92 ミツ 5
ヌマ 37 オカ 1109 1036 1097 オカ 29 29 86 86 ミツ 6
ヌマ 41 オカ 1110 1038 1099 オカ 38 38 ミツ 7
ヌマ 47 オカ 1111 1040 1101 オカ 73 73 ミツ 8
ヌマ 51 オカ 1114 1046 1107 オカ 87 87 ナカ 1001
ヌマ 59 オカ 1120 1059 1122 オカ 93 93 ナカ 1002
ヌマ 151 オカ 1127 1071 1134 オカ 110 96 ナカ 1003
ヌマ 163 オカ 1105 1177 オカ 119 105 113 99 ナカ 1004
ヌマ 199 オカ 1151 1111 1195 オカ 116 102 ナカ 1005
ヌマ 2122 オカ 127 113 ナカ 1006
ヌマ 2123 オカ 128 114 130 116 ナカ 1007
ヌマ 2124 オカ 129 115 ナカ 1008
ヌマ 2125 オカ 133 119 134 120 ナカ 1009
ヌマ 2126 オカ 1113 1197 ナカ 1010
ヌマ 2127 オカ 1121 1205 ナカ 1011
ヌマ 2128 ヒロ 2 2 10 10 ナカ 1012
ヌマ 2129 ヒロ 19 19 20 20 ナカ 1013
ヒロ 67 67 69 69 ナカ 1014
ヒロ 70 70 ナカ 1015
ヒロ 78 78 ナカ 1016
ヒロ 89 89 ナカ 1017
ヒロ 91 91 ナカ 1018
ヒロ 84 84 88 88 ナカ 1019
ヒロ 63 63 85 85 ナカ 1021
ヒロ 108 94 109 95 ナカ 1022
ヒロ 114 100 115 101 ナカ 1026
ヒロ 118 104 132 118
ヒロ 123 109 124 110
ヒロ 2002 2002 2013 2013
ヒロ 2023 2023 2024 2024
モト 1095 1161
モト 1096 1163
モト 1097 1165
モト 1098 1169
モト 1099 1171

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 2. 4両編成への統一&モハとサハの制御付随車化(広島)

岡山における余剰車両はまだまだいるのではあるが、 これ以降の組み替えは岡山・網干以外の区所を巻き込むこととなるため、 また後ほど必要な時に追って話すこととして、先に広島の115系についてを語っておこう。

広島地区においては冷房車編成が6連14本、4連11本、 非冷房車編成が6連12本、4連4本が在籍していたのだが、 これらを短編成化の上で4両編成に統一することとなった。
これにより、冷房付きのモハユニットが14組、非冷房モハユニットが12組余剰となったのだが、 このうち冷房付きの0番台モハユニットは、1組を除いて3000番台に組み込まれることとなり、 それまで組み込まれていた111系のモハユニットを置き換えていった。
置き換えられた111系モハユニットは、老朽化が進んでいたこともあり1985年以降廃車となっていった。

クハ115 モハ111 モハ110 クハ115
3113 58 58 3013
↓
クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
3113 115 101 3013
※実際は111系モハユニットを組み込んだ9本すべてが115系0番台冷房車モハユニットに置き換えられている。

2000番台のモハユニットは29組全てを広島地区に残すこととなり、 結果として4両編成4本が多く配置されることとなった。 さらに増発等で4両編成をさらに3本多く配置することとなり、合わせて追加で14両ものクハが必要となったのだ。
このうち4両については、沼津にいたクハ115-163、199、岡山にいたクハ115-7、101を転用することとなり、 残る10両は先頭車化改造車で賄うこととなった。 広島で余剰となったモハ115-67、モハ114-67、モハ115-69、モハ114-69、モハ115-91、モハ114-91の6両を クハ115-551、552、553、651、556、654に、 岡山で余剰となったモハ115/114-15、18の4両をクハ115-554、652、555、653に、 三鷹で余剰となったサハ115-5~8、1、2の6両を下り方クハのクハ115-607~612に改造し、 広島地区においては改造された16両のうち、10両を活用する形となった。

モハ115 モハ114 クハ115 クハ115
67 67 551 552
69 69 553 651
15 15 → 554 652
18 18 555 653
91 91 556 654

サハ115 クハ115
5 607
6 608
7 → 609
8 610
1 611
2 612

余談だが、モハ114からも奇数向きクハに改造された車両が1両いるのだが、 4両編成で運用される場合、基本的には奇数向きクハにはトイレが必要ないため、 トイレ増設の必要がない奇数向きクハとして改造し、トイレ付の奇数向きクハを偶数向きクハとして活用することで改造コストを抑えたかったのであろう。
また三鷹にいた0番台サハについてもトイレ付きであり、先頭車化改造にあたってトイレの追設が省略できるというメリットが存在していた。 このため0番台サハについては上り方先頭車への改造車は存在せず、最終的に改造された13両全車が下り方先頭車として改造されたためクハ115-500番台は存在しない。
こうして広島地区では、4連7本の確保に成功したのである。

なお、転入および改造された車両については14両全車が非冷房車であったのだが、 2000番台に組み込まれることとなったクハ8両(149、199、554、556、607、608、652、654)については、1984~1986年にかけて冷房化が進められた。 冷房化された8両のうち、クハ115-149は元から広島地区にいた車両である。
クハ115-7、101、163、555、609、651、653は非冷房車編成に組み込まれることとなり、冷房改造も見送られた。 この際、クハ115-163は落成時の相棒であるクハ115-164とペアを組まされることとなり、 以降は1993年の廃車までそのコンビであり続けていた。
ここで余談を挟むが、沼津からの転用組で163、199の2両が選ばれた理由についてなのだが、 恐らくながら広島の既存車である2000番台との混結やそれによる冷房改造の必要性も視野に入れて、 なるべく0番台から比較的車齢の若い車両を確保しておきたかったとのだと考える。

活用されなかった6両の内、クハ115-551、552、553は沼津にいた残る17両のクハならびに岡山にいたモハユニット8組と 広島にいたモハ115/114-70、松本にいたモハ115-1095/モハ114-1161とともに新潟地区へ転出。 越後線・弥彦線の電化に合わせ、4両編成10本を組成した。
なお、新潟に来たクハ22両はすべて奇数向きクハであり、クハ115-551などのようにトイレが設置されていない車両も在籍していたため、 両渡り構造かつトイレ付であったクハ115-0番台は優先的に方向転換を受けることとなったが、 2両だけクハ115-2100も方向転換されてクハ115-2000番台に改番されている。 彼らはクハ115-0番台とは異なり片渡り構造であったため、1244と同様に方向転換に際して改造は必要ではあったのだが、 1981年製でだったため上りクハながらトイレも備え付けられており、方向転換改造の対象としては申し分なかったのだ。

(↓転属車リスト)
1. 沼津→新潟
クハ115-9、21、29、37、41、47、51、59、151、2122~2129

2. 沼津→広島
クハ115-163、199

3. 岡山→広島
クハ115-7、101(※改造車含めず)

4. 岡山→新潟
モハ115-93、110、113、116、119、128、130、133
モハ114-93、96、99、102、105、114、116、119
(※改造車含めず)

5. 広島→新潟
モハ115-70
モハ114-70
(※改造車含めず)

6. 広島→下関
モハ115-85、108、109、114、115、118、123、124、132
モハ114-85、94、95、100、101、104、109、110、118

7. 松本→新潟
モハ115-1095
モハ114-1161

(↓改造車リスト)
1. モハ115→クハ115-550
モハ115-67、69、15、18、91 →クハ115-551、553~556

2. モハ114→クハ115-550
モハ114-67→クハ115-552

3. モハ114→クハ115-650
モハ114-69、15、18、91 →クハ115-651~654

4. サハ115→クハ115-600
サハ115-5~8、1、2 →クハ115-607~612

5. クハ115-2100→クハ115-2000
クハ115-2122、2125 →クハ115-2035、2036

(↓新潟区)

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
70 70 21
553 93 93 37
551 110 96 29
552 113 99 9
2124 116 102 59
2127 119 105 151
2128 128 114 47
2129 130 116 41
2123 133 119 51
2126 1095 1161 2036
2035
※1984年時点の編成が確認できなかったためほぼ推測。

(↓広島区)

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
7 78 78 651
101 20 20 609
163 35 35 164
199 2002 2002 652
554 2013 2013 608
555 19 19 653
556 2024 2024 654
2115 2023 2023 607
※背景色が薄緑色の車両は捻出車リストに入っていない車両。
※実際はクハ115-163は非冷房車編成に組み込み、 2000番台編成にはクハ115-149があてがわれた。
クハ115-199は転属とほぼ同時に冷房化。沼津在籍経験車としては初の冷房車となった。 (沼津の2000番台が全車冷房準備車として落成されたため。)

(↓余剰・捻出車リスト)

クハ115 クハ115 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 サハ115
ミツ 610 オカ 1107 1032 1093 オカ 23 23 8 8 ナカ 1001
ミツ 611 オカ 1109 1036 1097 オカ 46 46 ナカ 1002
ミツ 612 オカ 1110 1038 1099 オカ 92 92 ナカ 1003
オカ 1111 1040 1101 オカ 29 29 86 86 ナカ 1004
オカ 1114 1046 1107 オカ 38 38 ナカ 1005
オカ 1120 1059 1122 オカ 73 73 ナカ 1006
オカ 1127 1071 1134 オカ 87 87 ナカ 1007
オカ 1105 1177 オカ 127 113 ナカ 1008
オカ 1151 1111 1195 オカ 129 115 ナカ 1009
オカ 134 120 ナカ 1010
オカ 1113 1197 ナカ 1011
オカ 1121 1205 ナカ 1012
ヒロ 2 2 10 10 ナカ 1013
ヒロ 84 84 88 88 ナカ 1014
ヒロ 89 89 ナカ 1015
モト 1096 1163 ナカ 1016
モト 1097 1165 ナカ 1017
モト 1098 1169 ナカ 1018
モト 1099 1171 ナカ 1019
ナカ 1021
ナカ 1022
ナカ 1026

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 3. 宇都宮線・高崎線でも(新前橋・小山・長岡・岡山)

ただ、余剰車を欲しがっていたのは新潟・岡山・広島だけではない。
115系の始まりの地でもある新前橋・小山においても115系を欲しがっていたのだ。 短編成化とは縁のない両区所であるのだが、両区所が115系を欲しがっていた理由は以下の通り。

  1. 中間クハ編成の解消。
  2. 列車増発に伴う編成数の増加。

1982年当時、中間サハをクハで代用する編成は新前橋に8本、小山に9本が在籍していた。 この中間クハを先頭に出す形で編成数を増やすこととなったのであるが、 この時に長岡で大量に余剰となっていたサハ115-1000番台が活用される形となった。
一般的に、混雑する路線においてはデッドスペースの発生はあまり好ましくない。 中間サハをクハで代用する編成の場合、中間に組み込まれているクハの乗務員室がデッドスペースになってしまうが、 これをサハに差し替えることで車端部のデッドスペースがなくなる分、1編成辺りの定員増に繋がるのだ。 さらに、この当時は先頭車両が不足していた時期であり、 サハによってクハを捻出できたことで先頭車不足解決に貢献できるのだ。 まさに、win-winの関係だったのである。

(↓分かりやすく図を用いて説明するとこうである。)

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
例 339 324 324 340 325 325 342
中間クハの乗務員室がデッドスペースとなってしまう。↑
※1983年4月1日現在の北ヤマY324・Y325編成より。

サハ115-1000番台は新前橋に9両、小山に10両が転用された。
小山では中間に組み込まれていた9両のクハを長岡から転入してきたサハに差し替え、クハを捻出した。 余剰となった9両は広島からのモハ115/114-63、ならびに岡山からのモハユニット4組(MM'8、MM'23、MM'38、MM'46)、 そしてクハへの差し替え要員にならなかったサハ115-1022を交え、7連1本、4連3本を組成した。 但し、岡山からやって来たモハユニット4組はそのまま組み込まれたわけではなく、 非冷房車編成に組み込まれていた比較的車齢の若いモハユニット(MM'71、M112/M'98、M120/M'106、M122/M'108が該当)を岡山からのモハに差し替え、 抜き取られたそのモハが冷房改造の上で差し込まれていた。 広島から来たハ115/114-63は転入前から冷房を搭載していたことからそのまま組み込まれている。
一方、新前橋では、中間に偶数向きクハを組み込んだ編成が大半を占め、 中間に奇数向きクハを組み込んだ編成は1編成のみとなっていた。 このため中間に組み込まれていたクハを長岡から転入してきたサハに差し替えたケースの他、 長岡からのサハと、岡山で3両編成誕生の過程で余剰となっていた片割れ3両で4両を組成し、 4両編成を捻出したケースもあった。
この過程で岡山にいた片割れ3両4本が活用されることとなり、前述のサハとともに4両編成4本が捻出。 このうち2本については岡山にいた1000番台モハと長岡からのサハを組み込んで7連化されている。
中間に奇数向きクハを組み込んだ7両編成については、クハ115-610を転入の上で4連2本にとなった。 こうして、新前橋でも7連1本、4連4本が増加する形となった。

なお、この編成替えで小山ではクハ115-142が、新前橋ではクハ115-1032、1217、1219が余剰となったのだが、 これらの車両は岡山に転出し、片割れ3両と編成を組んで4両編成4本を組成することとなった。

(↓転属車リスト)
1. 長岡→新前橋
サハ115-1001、1003、1004、1008、1011、1015、1016、1017、1019

2. 長岡→小山
サハ115-1002、1005、1006、1007、1010、1013、1018、1021、1022、1026

3. 岡山→新前橋
クハ115-1109、1110、1114、1127
モハ115-1036、1038、1046、1071、1113、1121
モハ114-1097、1099、1107、1134、1197、1205

4. 岡山→小山
モハ115-8、23、38、46
モハ114-8、23、38、46

5. 広島→小山
モハ115-63
モハ114-63

6. 新前橋→岡山
クハ115-1032、1217、1219

7. 小山→岡山
クハ115-142

(↓小山区)

クハ115 モハ115 モハ114 サハ115 モハ115 モハ114 クハ115
31 63 63 1022 71 71 122

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
359 112 98 430
227 120 106 226
341 122 108 340
※背景色が薄橙色の車両はサハによって捻出されたクハ、 薄緑色の車両は他所で捻出された車両。

(↓新前橋区)

クハ115 モハ115 モハ114 サハ115 モハ115 モハ114 クハ115
351 332 339 1001 57 57 111
1101 1011 1042 1004 65 65 123
1102 1023 1081 1019 1121 1205 1077
1110 1038 1099 1008 59 59 115
1114 1046 1107 1003 394 420 105
1116 1052 1115 1017 56 56 108
1127 1071 1134 1015 1113 1197 1057
1142 1102 1174 1016 58 58 112
1144 1104 1176 1011 54 54 102

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
1109 1036 1097 610
※背景色が薄橙色の車両は転用車によって捻出された車両、 薄緑色の車両は他所で捻出された車両。

(↓岡山区)

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
1107 1032 1093 1219
1111 1105 1177 1217
1120 1059 1122 142
1151 1111 1195 1032
※背景色が薄橙色の車両は他所で捻出された車両。

(↓余剰・捻出車リスト)

クハ115 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 サハ115
ミツ 611 オカ 29 29 86 86 ナカ 1009
ミツ 612 オカ 92 92 ナカ 1012
オカ 73 73 ナカ 1014
オカ 87 87
オカ 127 113
オカ 129 115
オカ 134 120
オカ 1040 1101
ヒロ 2 2 10 10
ヒロ 84 84 88 88
ヒロ 89 89
モト 1096 1163
モト 1097 1165
モト 1098 1169
モト 1099 1171

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 4. 余剰車フル活用(沼津・新潟・広島)

しかし、これでも短編成化で捻出された車両はまだ41両も残っていた。
岡山・広島・松本で余剰となったモハユニットがその大半を占めるのであるのだが、これらの車両は以下の通りに分かれることとなった。

  1. 松本地区115系の増結編成用
  2. 長岡地区115系の本数増加用
  3. 新潟地区での115系2両編成組成用
  4. 御殿場線・身延線の増発用
  5. 111系モハユニット置き換え用(113系クハと混結)

松本にいた1000番台のモハユニット4組は基本的に松本から転じることはなく、 モハ115-1000番台をクモハに改造して増結用に回すこととなった。

モハ115 モハ114 クモハ115 モハ114
1096 1163 1520 1163
1097 1165 → 1521 1165
1098 1169 1522 1169
1099 1171 1523 1171

長岡にいた1000番台5両のうち3両も長岡から転じることはなく、 モハ115-1000番台をクモハ115-1500番台、サハ115-1000番台をクハ115-1600番台に改造し、3両編成を組成した。 サハ115-1000番台については1980年以降の落成車両についてもトイレの設置が見送られたため、 偶数向きクハとして使用されることとなったクハ115-1601については改造ついでにトイレを設置することとなった
なおこの際、岡山に残っていたモハ115-1040/モハ114-1101はモハ115-1016/モハ114-1058の穴埋めとして転属してきている。

残ったサハ2両(1012、1014)については新潟に転属し、クハ115-1500番台に改造された。 新潟にいたクハが22両となったが、モハユニットが10組しかないため2両は予備車扱いとなっていた。

モハ115 モハ114 クモハ115 モハ114
1016 1058 → 1519 1058

サハ115 クハ115
1012 1501
1014 → 1502
1009 1601

新潟地区では4両編成の他に、専ら増結用の2両編成も用意されることとなり、 広島・岡山に在籍していた7ユニットが改造されることとなった。

また、モハ115-29、86の2両は、クモハ115-508、509に改造。 クハ115-611、612と編成を組み、沼津へと配置された。
但し、種車が低屋根車ではなかったため狭小トンネルの多い身延線への乗り入れに制約が生じてしまったという。

モハ115 モハ114 クモハ115 クモハ114
84 84 501 501
87 87 502 502
88 88 → 503 503
89 89 504 504
127 113 505 505
129 115 506 506
134 120 507 507

モハ115 モハ114 クモハ115 モハ114
29 29 508 29
86 86 509 86

この一連の先頭車化改造により、クモハ114という新形式が誕生し、またそれに伴って115系に2両編成が誕生した。 ただし、クモハ114には後年に福知山・岡山で誕生することとなる車両を除いて改造当初はトイレが備え付けられておらず、 民営化以降になってようやくトイレが取り付けられることとなった。

(↓新潟区)

クハ115 モハ115 モハ114 クハ115
1502 70 70 21
553 93 93 37
551 110 96 29
552 113 99 9
2124 116 102 59
2127 119 105 151
2128 128 114 47
2129 130 116 41
2123 133 119 51
2126 1095 1161 2036
1501 2035
※1984年時点の編成が確認できなかったためほぼ推測。

(↓沼津区)

久モハ115 モハ114 クハ115
508 29 611
509 86 612

残った4ユニットは用途がないため廃車…と思いきや、 なんと113系として落成されたクハと混結させてしまったのである。
113系と115系の混結は、後年に発生した網干区における6000番台モハやセキG編成ならびにセキH編成が有名だが、 国鉄時代に既に発生していたのだ。 そもそもとして113系と115系は制御器の違いがあるためあまり混結させるべきではないのだが、 国鉄としては何としても115系のモハを活用し、老朽化が進む111系のモハユニットを早急に取り換えておきたかったのであろう。
以下の編成表は1986年時点の編成表である。

クハ111 モハ115 モハ114 クハ111
132 2 2 421
146 10 10 469
124 73 73 395
147 92 92 420

こうして115系は、新製車両も廃車車両も1両も出すことなく、捻出できた207両全車が増発用・増結用として活用されることとなった。

(↓転属車リスト)
1. 岡山→長岡
モハ115-1040
モハ114-1101

(↓改造車リスト)
1. モハ115→クモハ115-500
モハ115-84、87、88、89、127、129、134、29、86、94~97、100~102、104~107 →クモハ115-501~520

2. モハ114→クモハ114-500
モハ115-84、87、88、89、113、115、120 →クモハ115-501~507

3. サハ115-1000→クハ115-1500
サハ115-1012、1014 →クハ115-1501、1502

4. サハ115-1000→クハ115-1600
サハ115-1009 →クハ115-1601

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あとがき

今回は要所要所で捻出車リストというもの設け、分かりやすく説明してみることとしたが、 いざ作ってみるとあまりにも捻出された両数が多い故に、ページ容量がとんでもないことになってしまった。

これらの緻密かつ大胆な転配によって新たに増加した編成数は全区所合わせて51編成。 これを新製車両なし、既存車両のみで敢行してみせた国鉄には脱帽ものである。(但し、この転配で111系のモハユニットに廃車は発生している。)
史上最大規模の転配となった1984年のダイヤ改正ではあったが、 ダイヤ改正後も松本・長岡では5両編成、岡山では6両編成といった長大編成(?)が数本程度残されており、これらについても1985年~1987年にかけて転配に巻き込まれていくのである。

(参考文献・サイト)
ジェーアールアール「国鉄電車編成表」83年号、84年号、86年号、90年冬号。
きはゆに資料室
国鉄・JR在来線用電車車両履歴
80's 国鉄時代の写真館
wikipedia
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